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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第3節 湖面の細波 [14]




「慎二は、自分の付き合う女性が原因で同級生が命を絶った事に責任を感じていた。事件とは無関係な立場ではありながら、何もしないで知らん顔なんてできないと言っていたの」
「優しい人ですね」
 ツバサの言葉に、智論は泣きたいような衝動にかられる。歪みそうになる顔を隠すように、琵琶湖を望んだ。
「えぇ、慎二は優しい人間よ」
 美鶴はなぜだか、自分に言われたような気がした。霞流慎二は、昔は優しい人間だったのだと。
「詫びる慎二に、涼木先輩は反発したわ。君になんて謝ってもらいたくはない。そもそも、どうして慎二が謝りに来るのかってね」
 涼木魁流の苛立ちは、美鶴にもツバサにもある程度は想像できる。
 謝ってもらっても、織笠鈴は戻ってはこない。謝ってもらって(なだ)めすかされているかのような、惨めな気持ちにでもなってのだろうか。だとしたら、目の前の慎二に怒りをぶつけたくなるのもわかる。そもそも、鈴を死に追いやった張本人が謝りに来たわけではない。
 それでもなんとか怒りを抑えようとする相手と向かい合い、霞流慎二は真っ直ぐに答えた。
「君に謝る事が、彼女のためだと思うから」



「彼女? 鈴のためだと言うのか?」
「織笠さんのためでもあるし、それに」
 そこで慎二は言葉を切る。その頃の慎二は、髪は今と同じように色は薄かった。長さは肩にかかる程だった。
「それに、愛華のためでもある」
「桐井のため?」
 不満そうな魁流の言葉にも、慎二ははっきりと答える。
「愛華に、自分がどれだけひどい事を言ったのかという事を、人の命の大切さとか、織笠さんが亡くなった事でどれだけの人が悲しんでいるかという事実を、教えてあげなくてはいけないと思っている。それが、そばにいる僕の、やらなければいけない事だと思うし、僕にできる事だと思うから」
「君にできる事?」
 秋の風が、髪を凪いだ。
「愛華には、これ以上人を傷つけるような事をしてもらいたくはないんだ。本当は、今ここに愛華を連れてくるべきなんだ。君がどれほど傷つき、腹を立てているか、僕は必ず愛華へ伝えるよ。いつか必ず愛華にもわかってもらって、君と織笠さんに謝るよう説得する。僕にできる事ならなんでもする」
 慎二は再び頭を下げた。



「あの時の言葉が、涼木先輩の心を決めたのかもしれない」
 智論の言葉にツバサは目を丸くする。
「お兄ちゃんの心を決めた?」
 頷く智論。
「しばらくして、学校で涼木先輩と会ったの。下校時であまり言葉は交わさなかったけれど、先輩は別れ際にこう言ったわ」

「僕も霞流のように、鈴のためにできる精一杯の事をしてみようと思う」

「しばらくして、涼木先輩は学校へは来なくなったわ。あれが最後に聞いた言葉ね」
「そうですか」
「慎二の方も、あの後に涼木先輩と会った様子はないから、どこへ行ったのかは知らないと思うわ」
 ツバサは頷き、少し神妙な顔でオレンジジュースのストローを摘む。
「優しくて、しっかりした人だったんですね。その霞流さんって人」
 智論はなぜだか嬉しそうに、だが美鶴と目が合うと少しだけ曖昧に口元を緩めた。
「慎二は、本当に桐井先輩の事が好きだったの。とても大切にしていたのよ」
 美鶴の胸の内を、切なさが横切った。





 突然どうしたんだろう?
 田代(たしろ)里奈(りな)は道の端にポツンと突っ立ったまま携帯を弄くっている。
 突然来れないなんて、ツバサ、何かあったのかな? まぁ、誰にだって急用の一つくらいはあるんだろうけど。
 今日は唐草ハウスへは行けないと携帯のメールに連絡があったのは今朝だった。いつもなら残念だなぁぐらいにしか思わないのに、今日は違った。
 里奈は突然パチンと携帯を閉じる。
 この携帯の料金は、岐阜に住む両親が支払っている。その両親からも時々メールが来る。食事はちゃんと摂っているか、施設の他の人間とは上手く付き合っているか、等々。
 家を飛び出した頃は幾度となく里奈を連れ戻しに来た両親。だが、里奈の頑なな態度と安績の説得により、今は里奈の動向を静観しているといったところか。
 時折メールを送ってくるのは、親として純粋に心配しているからかもしれない。だが里奈には、それが親の都合のみによって行われているようにしか思えてならない。
 食生活を乱して健康を損ねて病院に運ばれたり、施設の人間との間に問題などを起こせば、親の体裁にも関わる。こちらの迷惑になるような行動は取ってくれないで欲しい。
 そんな腹黒さが親からのメールには潜んでいるような気がして、里奈は両親からのメールが来るたびに気が滅入った。
 どうせ私は親が世間に自慢するために存在しているようなもんなんだったし。
 そんな気落ちした気分を、ツバサの明るい笑顔で吹き飛ばしてもらいたかった。
 ツバサといると楽しい。頼りにもなる。美鶴ほどではないけれど。
 そこで顔をあげる。
 美鶴、今は学校かな? もう終わったかな?







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